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いのちだいじに

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ:舞台裏には何もない

こんにちは!先日記事にしたほど楽しみにしていた舞台に昨夜行ってきました。

推しくんの次の舞台に向けて心を整える - ゆるく推す

面白かったし、色々と考えることが多かったので、次行くまでに整理したく、感想を書いてみます。これから観に行く方は私の記事なんか読まず、自分のファーストインプレッションを受け取った方がいいです。

 

 

 

読むべきか、読まざるべきか

この舞台を観に行くにあったって悩んだのが、ちょうど発売された本作の上演台本*1および、本作のネタ元であるハムレットを読むべきか、読まざるべきか。

私は両方読んだ上で臨みました。

上演台本を先に読んでいると、実際に舞台を観たときに「あの活字がこんなにいきいきとした言葉になっている!」という楽しみがありました。もし読まなかったら、舞台の後に「台本を読んで色んな仕掛けを見つけたい」と思ったでしょう。

ネタ元のハムレットについては、読んでおくとロズギルが今「ハムレット」のどのあたりにいるのかが分かり、この後何が起こるか分かっているからこそ笑える(あるいは笑えない)場面がいくつかありました。でも、もし読まなかったら、ロズギルとまったく同じ目線で「ハムレットの筋書きはムチャクチャだな!?」と彼らとともに憤りを感じられたでしょう。

結論:読んでも読まなくてもそれぞれの楽しみ方がある。

 

元々抱いていたトム・ストッパード脚本の印象

昨年、同制作の「アルカディア」という作品に推しくんが出るので観に行ったのがトム・ストッパードの脚本に初めて触れたときです。

飛び交う難解なセリフの数々、二転三転する状況、交錯する過去と現在。そのときは、板の上で起こっていることに追いつくことで精一杯。

数学、物理、自然科学、歴史、詩。知的な議論を眺めながら私がその中身を本当に理解できたのは数パーセントだった。

それでも、面白かった。それが衝撃でした。

私は物語というのは、出てくる会話とそれに込められた伏線を理解して、それを積み重ねたうえに結末があって、「やはりあれがこうなった!」とか「こうなるとは思わなかった!」というカタルシスがあって、面白いという感想につながるのだと思っていました。

ストッパードの脚本は、出てくる会話を理解できなくても、ボンヤリ眺めているうちに大枠が見えてきて、「なんだか面白かった」という感想になる。

「ボンヤリ大枠が見えてくる」というのが最大の特徴で、会話には伏線とそうでないものがあり、伏線は必ず観客が受け取れるようになっているのだと思います。伏線でないものは、知的な仕掛けであり、分かるともっと面白いんだろうなとは思いますが、分からずにただ言葉遊びとして楽しんでも全く問題がない。

今回のロズギルも、2人の弾丸トークが売りにされているけど、理解できなくてもなんとなく楽しめるんだろうな~というのが事前の期待で、それは裏切られませんでした。

 

あらすじ

コインの裏表をかけながら、森の中を行く、ごくごく普通の二人組。
彼らの名は、ローゼンクランツ(生田斗真)とギルデンスターン(菅田将暉)。
デンマークの王子・ハムレット(林遣都)がどうやら正気を失ったらしい、と義父となった国王・クローディアス(小野武彦)が、その真偽を調べるために、ハムレットの学友だった二人を呼び寄せたのだ。


自分たちの旅の目的は分かるけれども、その目的をどう果たせばよいのか分からない二人。
ただただオタオタする二人のそばを「ハムレット」の物語は粛々を進み、そして、、、、。


自分たちも物語のひとつとして、なす術もなく、どんどん死が待つ結末に向かって運ばれていく「誰でもない彼ら」。 
かくて運命に流された二人は、「ハムレット」の物語に書かれた通り、この短い台詞によって存在を完全にかき消されてしまうのだろうか・・・。
「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ・・・」

 

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

このあらすじのとおりで、「ハムレットの筋書き」という運命に流される2人を面白おかしく悲しく見届ける物語でした。そして、ハムレットにも登場する劇団の座長が、「ハムレット」と「ロズギル」の2つの物語と更には「ロズギルを観ている観客たち」すら認識している狂言回しとして物語を進めていきます。

2人が賭けるコインの表裏は、「ハムレット」と「ロズギル」という表裏であり、「舞台上」と「客席」という表裏であり、「生」と「死」の表裏。

前述のとおり、ただ流されて観ているだけでも色んな仕掛けを楽しめる舞台だったな~。

 

感想

以下、舞台を観て思ったことをつらつらと~。頭の中でぐるぐるしていることをただ吐き出しているので、まとまりがないです。

 

舞台の台本に行間など存在しない

コインの表裏その1、舞台「ハムレット」と舞台「ロズギル」。

ハムレットのスピンオフ」という言われ方をする本作、私は以前記事で「シェイクスピアが書いたわけではないのにスピンオフと言うのは違和感がある」と言いましたが、そんな生易しいもんじゃなかった。

本作は「スピンオフ=行間など存在しない」という物語でした。

通常私たちは、物語の行間にはまた物語があると思いますよね。描かれていないだけで、そこにも物語があるんだと。

しかしロズとギルには、物語は用意されていませんでした。あるのは、ハムレットの学友という立場、王からの指令、イギリスへの渡航、そして死ーー「ハムレットのいちモブキャラとしての」役割だけ。

そんな状況におかれた2人の奮闘、混乱、諦め、希望、絶望を、始めは喜劇的に、最後には2人の不条理な運命を思って悲劇的に楽しむ作品でした。

 これって、演じるのも難しいんじゃないのかなと思います。私は役者さんというのは、台本にあることからどんなキャラクターかを自分の中で広げて、裏付けて、咀嚼して演技しているのだと思っているんですが、この作品はそれを許さないんですよね。キャラクターであるロズとギル自身が、自分たちが何者なのか分からないのだから。そんな中でロズとギルのキャラクターを体現した主演のお2人はお見事でした。

 

板の上と客席の境界線

コインの表裏その2、「舞台上」と「客席」。

劇中、舞台上で自分たちが何をしても物語が動かないことに苛立ったロズは、唐突に「火事だーーー!!!!」と叫びます。でも、それを真に受けて慌てたのは舞台上のギルだけで、私たち観客は落ち着いたまま。なぜなら、私たちは「舞台上」と「客席」を別の世界だと認識しているから。それが舞台観劇の秩序だから。そしてギルは私たちに吐き捨てます。「誰一人動こうとしない。みんな焼け死んじゃえ」

こんなような、演者が客席に語りかける場面が何回かあるのですが、段々とこちらも、舞台上を眺めながら「私たちの後ろには更に私たちを観ている観客がいるのかもしれない」と思い始めました。ロズギルは彼らの人生を生きていて、ただそれが舞台の台本の中だったというだけで、それを観て楽しむ私たちも私たちの人生を生きていて、それは何の中にあるんだろうかと。

私は普段は客いじりが嫌いで、それは舞台上と客席が別世界だという秩序が乱れるからなのですが、本作は舞台上も客席も何も変わらないという問題提起が根底にあるので、嫌な気持ちはしませんでした。ただまぁ、劇場を出ても心に引っ掛かっていますけれど!私はどんな物語の中の何者なんだろうかと。

 

あいまいな生と死

コインの表裏その3、「生」と「死」。

タイトルのとおり、ロズとギルは筋書きで決まっている死に向かっていきます。それを示唆するかのように、劇中では何度もさまざまな形で生死観が語られます。

「納得のいかない死ほど納得できないものはない」「何も見えないし、何も聞こえない。俺死んだのかな?」そう語り合いながら、2人は自分たちが死に向かっているなど思いもしない。

「死」をエンタメとして語る座長に、ギルは憤る。「死はそんなもんじゃないだろう、死はもっと…さっきまでいたものが、次の瞬間には存在していない、そういうものだ、次にまた帽子をかぶって出てくることを考えながらやるもんじゃない」

しかし、客席の私たちは舞台上で死について激論を交わす彼らをエンタメとして観ている。この構図自体がもう私の好きなやつ~!

憤るギルが座長を刺し殺しても、座長は死なない。ナイフがオモチャなわけだけど、それよりも何よりも「ハムレット」には座長の死など書かれていないから。

そしてまた、一番肝心な彼らの死も、劇団の劇を通じてあいまいにしか見せられない。「ハムレット」には、彼らの死に様など書かれていないから。

ロズの独白で印象に残っているものがある。「死について知ったときのことって覚えてなくない?ある日突然自分はいつか死ぬって気付いたの?違う。生まれながらにして知っているんだ」というようなもの。確かにそうだなって、いつからか覚えてないくらい昔から自分は死を知っていながら、自分とは遠いものと考えているし、死を扱った本作をエンタメとして観に来ている。

最終場、舞台上で生きているのは舞台奥のイギリスの使者とホレーシオだけで、死したロズとギルは舞台のつらに立っている。いつの間にか、ロズとギルからこっち側が、私たちが、死の中にいる。

 

 疑問の喪失=アイデンティティの喪失

 本作を見ながら思ったのは、「疑問=アイデンティティ」ということ。ロズとギルはひたすら疑問を抱き続けます。

「俺たちはなぜここにいるのか?」

「俺たちの目的はなんだ?」

「俺たちのやるべきことはなんだ?」

「どうすればこの状況を変えられるんだ?」

「俺は誰だ?」 

疑問を抱き、答えを求めますが、何も得られません。客席も助けてくれません。彼らはハムレットの物語の中でしか役割を持っておらず、ハムレットの物語から外れることは許されず、かといって彼ら自身が考えることも求められていないから。

彼らはやがて疑問を抱くことを捨て、とにかく先に進みたい、どんな結末か分からないけれど終わらせたい、そうすればきっと自由になれると考えるようになります。

これこそが、彼らが「ハムレットの中のロズとギル」から「ただのロズとギル」に抜け出すチャンスを失った原因。彼らが自らの存在意義を「とにかく流れ(=ハムレットの筋書き)に従う」ことに求め、ハムレットの筋書きどおりの死に彼らは飲み込まれていくのです。

 

先日、推しくんのブログが最高すぎるという記事で自分もこう書いていました。

「自分が自分の人生の傍観者にならないよう」って、すごい言葉だな…そうなんですよね、何か疑問があっても「まぁいっか」で済ませ続けると、いつの間にか疑問も持たなくなって、自分の意思がなくなって、自分の将来は誰かが決めてくれると思って、気が付くと理想とかけ離れていて、それでも誰かのせいにしてるけど、自分のせいだよ~~~~!!!!

推しくんの千穐楽ブログが最高オブ最高 - ゆるく推す

 このときにも思ったけど、やはり疑問を持つというのは自分の意思を確立するということに他ならないなと、本作でも思いました。

 

アルカディア」との相違点

昨年の「アルカディア」との共通点はトム・ストッパードの印象として前述のとおりですが、強く感じた相違点がありました。

アルカディアもロズギルも、「カヴァリー家の屋敷」と「ハムレットの世界」という箱庭を客席が覗き込むという構図は同じです。しかし、アルカディアでは、過去も現在も知っているのは客席だけで、舞台上の過去を現在を知らない演者たちをそれこそ全知全能の神のような気持ちで眺めるのに対して、ロズギルでは、舞台の上とこちら側とすべてを掌握しているのは舞台上の座長で、客席は自分たちの知っているハムレットの世界の中のロズギルを見ながら、自分たちの知らない世界を知っている座長に見られているのです。

このね~~似ているようで違う構図、シビれる~~!!

 

演者について

もうすでに4500文字なんですけど、印象に残った演者さんについても私の初日の感想を書き残しておきたい。

 

ローゼンクランツ(生田斗真)/ギルデンスターン(菅田将暉

本作に沿ってあえてまとめて。

ロズ斗真くんはかなりのおとぼけキャラで、ギル菅田くんは頭がいいのかと思いきやアホで、そんな2人が観ているうちにどんどんいとおしくなりました。最初、ギアが入るまではあまり響かなかったのですが、ギアが入ったら、もう2人のやりとりが今そこで生まれているかのように活き活きとしていて、活字で読んだあの文章がこんなにも生身のものになるんだと感嘆!

とてもかっこよくて輝いている2人が、モブキャラの悲哀を演じる面白さもあり、モブキャラらしい貧相な衣装が勿体なくもあり…。できればチラシの衣装がよかったけど、観客に衣装でロズとギルを見分けさせたくなかったんだろうなぁ。彼らがどっちがどっちか分からないのが肝なので。

キャラクター的にはギルが「静」でロズが「動」なのですが、演者的には斗真くんが「静」で菅田くんが「動」に感じました。不思議ですね、彼らの演技自体はキャラクターのとおりで、斗真くんの方が動き回ったりトンチンカンなことを言って菅田くんが怒りながら諫めているんですけれど、その奥にある彼ら自身はきっと逆だと思ったんです。菅田くんの勢いと熱のある火の玉みたいなお芝居を、斗真くんが大海原のように受け止めているイメージ。良いバランスだなぁと思いました。

 

ハムレット林遣都

いやもう聞いて~ステキだった~!!狂気のような憎しみを隠して道化を演じるハムレットの、本作では道化の部分しか主に出ていないんですけれど、かわいらしいお顔なのに只者でない雰囲気がありました。彼のハムレットハムレット本編が観たくなるくらい。

途中、ハムレットが船の上でくつろいでいる場面があるんですけれど、ビーチパラソルにサングラスかけてくつろいでて爆笑した。すこし経ってから座長に「ずいぶんとまぁおくつろぎで…」って言われるから尚更。

 

座長(半海一晃

私、上演台本読みながら想像していたのはでっぷりとして縦にも横にも大きい座長だったのですが、真逆で驚いた。でも、縦にも横にも小さい半海さんの座長が歌うようにセリフを言いながら、その場で誰よりも(客席よりも)すべてを掌握しているのが、とても面白く、そして恐ろしかった。

途中、丸太?にちんまり座っているのがとってもキュートでした。

 

演出について

客席についてまず驚いたのが、セットが明らかに準備中なこと。そして開演10分前ほどから、スタッフが小道具を運んだり掃除したりし始めるのですが、これも演出なんでしょう。舞台の上で準備するスタッフは、私たちと同じ現実を生きる人間。その人たちが準備したお芝居がこれから始まるよと、舞台の上と客席は紙一重なんだよと、ここでジャブを打たれていたんだなと終わった今感じます。

セットはとてもシンプルで、言うなれば「なんでもない空間」。真っ黒な階段を背に、ロズとギルは劇中舞台から一歩もハケません。そしてそこが突然宮廷になったり、森になったり、船になったりする。ハムレットの裏は「なんでもない空間」で、そこにいるロズとギルは「なんの役割もない人間」ということが際立つセットでした。

劇判はほとんどなく、基本的に無音で、これもまたハムレットの裏は何もないことを表しているのかな?と思いました。

衣装は、ハムレット組が白基調で出てきた瞬間にハムレットが始まったと分かるくらいなのに対して、ロズとギルはアースカラーの地味め。座長と劇団はカラフル。この3陣営が視覚的にはっきり分かれていて、分かりやすかったです。

また、全体的に演者それぞれがこの舞台における自分の役割をきっちり理解しているなと、特に出番の少ないハムレット組を観て感じました。

 

推しくんについて

えっ演者についてもう語ったじゃん何でそこに入れないの?と思われるかもしれませんが、リピートアフターミー。推しは常に特別。

 

推しくんの役割

推しくんはこの舞台でハムレット組、オフィーリアとホレーシオの兼ね役を演じました。配役を見て上演台本を読んだ私はこう思いました。

ウン…… 推しくんの出番、ほぼオフィーリアだわ^^

分からん……キャスティングの意図が分からん……ホレーシオの方が多くてオフィーリアが1シーンくらいで、そのために女優さん使うのもアレだし推しくんにやらせとこっていうならまだ分かるんだ……

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 よく分からんけどオフィーリアがメインの配役なのだと。

しかし、実際に観てみると、確かに出番の比率はオフィーリアの方が大きいのですが、最終場のホレーシオのために推しくんはこの舞台にいるんだと思いました。ロズとギルの物語は所詮コインの裏であり、表はハムレットなのだと、最後の1分で客席に思い出させるために。

推しくん自身もパンフレットで語っているのですが、この舞台で推しくんはスッと出てパッと仕事をしてサッとハケなければならない。ここしばらく主演だったりメインキャラクターだったりが多く、真ん中で輝く技量に偏って見えたので、合間にこうして脇を固める技量を磨く機会があるのは良いなぁと思いました。事務所に何の文句もないや。

でもね~~~~出演時間トータル5分くらいなんだ!!!上演台本読んで覚悟はしてたけど、推しくん5分くらいしか観れないんだ!!!さっき言ったことも本心だけど、推しくんいっぱい観たいっていうのもまた本心でーーーす!!!!!

 

推しくんの女装など

そうそう、あれだけ楽しみにしていた推しくんの女装なんですけれども……出てくるたびに双眼鏡で舐めるように観たんですけれども……

驚くことに何も覚えていないです

なんか、ふわふわしてたな~…とかヒラヒラしてたな~…とかしずしずしてたな~…とかスゲーざっくりは思い出せるんですが、肝心のどんな姿かたちだったのか、サッパリ覚えてないんです!!!

これはきっと、人間楽しみにしすぎると、それを記憶した瞬間にその楽しみがなくなってしまうから、防衛本能的に記憶を失ってしまったんですね……。次もまた推しくんの女装を初めて見る気持ちで楽しめそうです。

あとね、最後ホレーシオで出てきたとき、衣装がハチャメチャに貴族で私沸きました。えっホレーシオって貴族ですっけ??なんか村人みたいなの想像してた……髪型がなんちゅうか宝塚の男役の方みたいでね、大階段に立っててね、ひざまずいてね、衣装かっこよくてね、激マブでした。(語彙)

 

なぜオフィーリアとホレーシオが兼ね役なのか

これマ~ジで聞きたいんですけど、シンプルに「ホレーシオとオフィーリア出番少ないからまとめちゃえ」かもしれないんですけど、私はこの2役が兼ね役だと分かった後にハムレットを読んで、「オフィーリアの救済」なのかもしれないと思いました。

ハムレットを読んで、ロズとギルもかわいそうなんですが、ま~~~オフィーリアがかわいそうなんですよ!!!元々好き合っていたのに、ある日突然ハムレットが冷たくなり、父親ハムレットに殺され、気が狂って死んでしまう。その死にハムレットが心動かすこともない。ハムレットに振り回されて死んだと言っても過言ではないです。

その一方で、なんか知らんけどハムレットにずっと信頼され好かれ秘密を共有し最期を看取るホレーシオ。

オフィーリアがホレーシオになれたら、それは救済だよなと思ってしまいます。

 

まとめ

期待どおり面白かったです。時間をおいてまた次に観に行くのが楽しみ!!

舞台を観ながら&観終わった後もあーだこーだ考えるのが好きな方には特にオススメします。私はモロそのタイプで、これ観たら絶対延々考察してしまうと思って、今日は有給を取っておいてました。休んでよかった…頭の中を吐き出せたので、明日また仕事頑張れます。

チケットは完売していますが、座席か立ち見の当日券は毎日出ているようです。

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ