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明治座の変~麒麟にの・る~:道迷う時、星を探そう

る変、楽しかったなぁ…っていうホワホワからなかなか現実に帰ってこれません。もう少し描いてほしかったこととか、ハッキリ言ってほしかったこととかありはするんですが、全体的に楽しかったぁ…なお、感想がネタバレ不可避の舞台だったので、未見だけど円盤買うつもり~みたいな方は以下読まないで新鮮に楽しんでほしいです。

 

 

あらすじ

Part1 - 明治座の変 麒麟にの・る | る・ひまわり×明治座年末“祭”シリーズ

「この世に名君現るとき、麒麟もまた現る」

時は戦国。
武将たちが天下統一を目指して戦を繰り広げた戦乱の世。
残虐非道な第六天魔王織田信長は今日も今日とて戦に明け暮れていた。

一方。令和元年。
動物好きで歴史オタクの青年が、動物園で突然”きりん”に突進される。
青年が気が付くとそこはー戦国時代だった。なぜか擬人化した”きりん”が言う。
「おめでとう。今日からお前は竹中半兵衛だ。」
更に”きりん”は言う。
「”きりん”は織田信長を探しています。あ!見つけた信長!」
話を聞かない”きりん”が再び突進したその先にいたのは、明智光秀と名乗る武将だったー

「何故、明智光秀織田信長を討ったのか」トンデモ設定で繰り広げる本能寺の変

 年末シリーズのトンデモ設定、今回は

の3本立てでした。物語は、謎の紙芝居のおじさんがとある兄弟の話を語るところから始まり、桶狭間の戦いを終え天下に手をかけんとするイケイケの織田信長とその家臣たちが、いくつかの裏切りを経て敵対し、本能寺の変へと向かっていきます。

参考:イケイケの織田信長

www.youtube.com

全体的な構成として、劇中アレッと思うことは大抵ちゃんと回収されたので、終幕時にアレは何だったんだと思うことがほとんどなく、大変見やすい内容でした。

「なんで竹中半兵衛が現代人?」→「中国大返しのためか」

「なんで導入が兄弟と星の話?」→「織田兄弟のことだったのか」

「なんで織田信長はやたら名乗るんだ?」→「実は信長じゃないからか」

「最初から正親町天皇に裏切ってるのは誰だ?」→「帰蝶か?」→「荒木村重か」

「紙芝居のおじさんは誰なんだ?」→「元信長か?」→「信行か」

大きいものでこんなところでしょうか。

 

あとは歌が多めで、さらに「状況を説明する歌」よりは「感情を吐露する歌」が多く、上手く言えないんですがミュージカルっぽい~と思いました。

 

また、演者が22名*1と例年に比べて*2絞られており、その分全員に見せ場があってよかった。

 

あとは好きなポイントとか演者さんとか、逆に気になったところなどをつれづれと。

 

織田信長と信行

やはり最も語るべきはここですよね。兄・信長と弟・信行。

兄・信長は織田家の嫡男として生まれながら剣の腕に自信がなく、虫も殺せないほど優しい。弟・信行に剣の才があるとわかってからは周囲が信行に期待していると感じ取り、自分がいなくなれば織田家は全てうまくいくと出奔してしまう。しかし明智光秀として潜入している間に楽市楽座や関所撤廃を提案するなど、智将の片鱗を見せていた。

弟・信行は次男ながら剣の腕がめっぽう強く、秀吉の言葉を借りると「無慈悲で短気なお方」。兄・信長が捨てた織田家帰蝶を拾い集めて磨き上げ、家臣たちを文字通り強さでねじ伏せて、家臣たちもその強さに憧れていましたが、段々と人が離れていき、最後にはひとりぼっちとなりました。

 

彼らが「二人でなら麒麟が見えた」のは、「聡明な兄・信長を弟・信行が武力で支える」という形でなら天下が取れたのではないか、という意味なのかなぁ。実際、弟・信行は明智光秀として政治に口出しをした兄・信長を「ちょっとは役に立つじゃないか」と評しており、出奔する前から兄の素養に気付いていたのではないかなと思います。

最初に語られる兄弟の話で弟は「兄ちゃんは家の一番えらい人になるから、自分は星に一番詳しい人(天文学者)になる」と言っており、自分が嫡男になろうなどとは考えていなかったのですよね。

一方で兄は弟の方が嫡男にふさわしいと考えており、そのボタンの掛け違いが本能寺の変を生んだのでした。

 

兄・信長:北極星が分からなかった人

本作では星、とりわけ北極星が象徴的に扱われており、1幕終わりの曲でもこう歌い上げられます。

羅針盤は空に

道迷う時、星を探そう

 兄・信長は、自分にとっての北極星が長らく見つけられずにいる人でした。織田家の嫡男に生まれ、天下統一を北極星として歩めればよかったのですが、弟の方が剣の才能があり、自分も争いごとは嫌いだった。そこで信長の名を捨て出奔し、明智光秀の影武者となりますが、織田信長(信行)を殺すと聞くと、明智光秀の名も捨て逃げ出します。

逃げ出した所で弟・信行が命を狙われている事実は変わらず、悩んだ末彼が辿り着いた北極星は、「信行の兄である」こと。自分は信長でも光秀でもなく、信行の兄なのだと、北極星を見つけた信長は、麒麟を呼び信行を助けに本能寺へ駆け付け、「俺が信長に戻るよ(殺されてやるよ)」と弟に告げるのでした。

 

弟・信行:北極星を間違えた人

そんな兄・信長に信行は「天下を目前にして今更返せと言うのか」と激昂します。「織田信長の名前も、帰蝶も、お前が捨てたものを俺は拾い、磨き上げてここまで来た。今更返すものか」

信行の元々の願いは、織田家を継ぐ兄の側で星を眺めることだった。それがある日突然、お前の方が相応しいと家も妻も捨て姿を消してしまった。セリフにはありませんでしたが、信行はきっと「自分さえも捨てられた」と思ったことでしょう。そして、捨てられた弟・信行は死んだことにして、信長になり変わり、麒麟を得て天下統一を果たすことに心血を注ぐようになりました。

信行が北極星としたのは、兄が認めた自分の「強さ」で麒麟を従えて天下人となることだったのだと思います。でも、強さだけを追求する信行に家臣は1人また1人と離れていった。そして最後には1人となった所に兄が再び現れ、救ってくれた。

兄を喪ってようやく信行は第六天魔王信長から弟・信行に戻り、こう呟く。「あれが北極星、北の空で唯一動かない星。これからどこに進めばいい?兄ちゃん…」弟・信行にとって本当の北極星は、兄そのものだった。追いかけていきたかったのに自分を置いていき、また置いて逝ってしまった。

ここで紙芝居のおっちゃんが弟・信行であることが明かされ、「兄にはなれませんでした」と呟く。お芝居の最初におっちゃんが歌った麒麟のお話は、兄・信長がこときれる前に弟・信行に語った最後の星の物語だったのでした。幕開けに兄・信長のように優しく軽やかに歌うおっちゃん信行を思い出しながら、本来はこういう人だったのかなぁと思わされました。

 

お市北極星を喪い、新たに得た人

お市は作中で唯一、北極星を取り戻した人だったかなぁと思います。

夫の浅井長政を心から愛し、お喋りな長政の三歩後ろに控えて微笑む、少女のような一幕の姿。長政を支えることが、お市北極星だった。

しかし長政は、長年の恩義がある朝倉家と織田家の板挟みになり、正親町天皇に拐かされて朝倉家に寝返り、追い詰められて自刃します。

北極星を喪ったお市は、長政を死に追いやった上その死を汚した兄・信長(信行)に表面上は従い、柴田勝家に嫁ぎますが、復讐を決意していました。

お市はその足で正親町天皇に加担し、新しい夫の勝家も裏切って正親町天皇に身を委ねます。そして信行が本能寺にいるという情報を得たお市は、今や殆どが裏切った織田家家臣たちと本能寺へ向かい信行を追いますが、帰蝶を殺してしまったことで我に返り、自刃しようとする。それを止めたのは、柴田勝家でした。長政を愛していても、正親町天皇に抱かれたとしても、それでもあなたが愛おしいと言われ、お市は新たな北極星を得たのでした。

こう書くと何か都合の良い感じがしますが、観ている分には凰稀かなめ様の演技力で納得性が高いですし、愛らしいお市が闇堕ちして救われるまでをサイドストーリーに据えたのは、後述しますがこの作品は愛がひとつのテーマだと思うので、良かったなぁと思います。

 

正親町天皇北極星を望むことが許されない人

このストーリーの黒幕は正親町天皇で、ひたすら表舞台を掻き回すように暗躍しているのですが、「この世はつまらない、人間って面白い」と言いながらも、人間になる(現人神の立場から降りる)ことを願っている人でした。

終盤、「僕も極楽に行けるかな」とこぼし顕如に「あなたは極楽には行けません、神ですから」と言われた正親町天皇は、「何でかなぁ、こんなにも僕は人間らしいのになぁ!」と高笑いしますが、泣いているように見えました。*3

自らは北極星を望むことができないから、児戯のように人を操って火種を生み続ける正親町天皇を見ながら、(こういう人っているよなぁ…)と思うなどしました。

 

呪いを解くのは愛

割とこう、呪いを解く話でもあったなぁと思いまして。

信行にかかった第六天魔王の呪いを信長が解き、お市にかかった長政の死の呪いを勝家が解き、織田家家臣にかかった謀反の呪いを帰蝶が解き、正親町天皇にかかった神という呪いだけは解かれなかった。

で、呪いを解いたのは、彼らの愛だったなぁと思うのです。信長は1幕終わりの歌で「愛そう」と歌い、聞き手だった徳川家康は「徳川家は愛こそ強さと思っている」と語り、連綿と続いていった。

 

信行の兄弟ごっこ

第六天魔王信長(信行)が優しくしていたのが、蘭と丸、それから長政だったように思うのですが、何となく「お兄さんぶってるなぁ」と思いました。

幼き日の兄が自分にそうしたように、蘭と丸に対しては金平糖を分け与え、長政に対しては星を見て語らいます。

しかし、いくら行動をなぞったとて本当の兄弟ではありませんから、長政は朝倉を選んで信行を選ばなかったし、蘭と丸もより強いと思った正親町天皇に寝返りました。

弟のように接した彼らにことごとく裏切られた信行は、くそ、くそ、くそーー!!!と激昂します。真意はわかりませんが、私は「兄にもなれなかったこと」に憤ったのかなぁと思いました。弟として兄に裏切られ、兄を演じてみても弟に裏切られ、どうすりゃいいんだと。

 

兄・信長と明智光秀

ここも対比になっていて、弱いから織田家を出奔した信長と、病弱だけど明智家を守ることに必死な光秀。妻の帰蝶を愛せなかった信長と、煕子がどんな姿になっても愛する光秀。

光秀は最初、嫡男のくせに出奔した信長を見下し、煕子とともに「ポチ」と呼んでバカにしていました。そして、自ら信行に討って出ると明かしても弟のもとに行こうとしない信長に「少しは兄弟の絆を大事にするやつだと思っていた」と言い捨てますが、信行と信長とみつどもえとなった時には「あいつが死ねばお前が生き残れるんだぞ」と、信長を諭します。

最後には迫りくる秀吉を感じながら、秀吉が兄・信長を消そうとしていたのを知っていたので、信行とふたりで逃げろと言い、自らは信長を討ちとったと名乗って秀吉に討たれたのでした。

思うに、光秀も兄・信長と過ごす日々で兄・信長の人間性を好きだったし、それだけに歯がゆかったのだろうと思いました。最後には史実どおり、兄・信長を明智光秀が討った形になりましたが、こういう結末になると思っていなかったので、ここの関係性は初めて見る解釈で面白かったです。

また逢う日まで

年末シリーズはカテコの後、客降り兼ねて全員で懐メロを歌うのですが、選曲がその作品のテーマと言っても過言ではありません。

今回は、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」。恋人同士の別れの曲ですが、本作においては織田兄弟の死別をなぞっているのだと思います。

ふたりでドアをしめて

ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう

 織田兄弟は、兄の死に際してようやく兄と弟として「再会」できたのだなぁ。

二部まで引きずる

今回はなんか、二部ユニットでも一部芝居と勝手にリンクさせてウゥッてなっちゃいましたね…

いろは坂48カーブは、明智光秀(信長)の「けち」と織田信長(信行)の「だち」がダブルセンターで、でもけちがキャプテンで、天下人を目指していて…それって私がさっき願った、「兄を弟が支えて二人でなら天下をとれる」って姿じゃん~~~!!!涙

吉法師は、信行が第六天魔王信長を演じている頃のことを「変な夢」として歌ってて…変な夢で出会った家臣たちに、現実でも出会いたかったのかなぁとか、「キットカット買ってほしい 割れやすいし」って、誰と分けるつもりなの~信長でしょ~!!とか。

気になるポイント

最後の麒麟は兄なのか?

 最後、聞き手だった徳川家康は語り手の信行おっちゃんのもとに、麒麟を置いていきます。

この麒麟が兄・信長だったのかがよくわからず…ただの麒麟だとしても話が通るんですが、兄・信長だと「また逢う日まで」にもかかってきれいな気がするし、でもそう示唆するような情報(麒麟が元は人間、など)は語られなかったし…気になる。

 竹中くんのタイムスリップは必要だったのか?

 トンデモ設定のひとつが竹中くんなのですが、作中で大きな役割を果たしたのって、毛利攻めに行っていた秀吉をヘリコプターで本能寺に連れていく中国大返しの場面くらいなんですよね。思いのほか本筋には関与しなかったなぁと思い…

とはいえ、彼自身も現代では「僕の発明を喜んでくれる人なんていなかった」という境遇で、タイムスリップして初めて「一生ついてく」秀吉に出会えて、自分に価値を見出せた一人なので、そういったドラマ要員でもあったのかなと思いました。

死にかけの兄・信長が本能寺から安土城に行けるか?

これはほんと野暮なんですけど、サラッと流せなかった…中国大返しが竹中くんでクリアされてたから余計に。

とはいえ安土城天守閣で星を眺めながら兄弟が兄弟であることを取り戻すラストはめちゃくちゃにエモかったので、致し方ないかなと思います。

もうちょい信長と信行の昔の話が欲しかった

回想とか歌で十分語られただろうと思うのですが、もうちょっとだけ、平野良と安西慎太郎を媒体として、昔の織田兄弟がどんなだったか見たかったなぁと思いました。ラストの星を眺める兄弟の仲の良さ、それだけでわかるはわかるのですが、信長が悩む姿や、信長が出奔した後の信行を見てみたかったなぁと思うのです。

 

演者について

全員語るときりがないので、選抜で。

まずはW座長の平野良くん。もうほんとに素晴らしくて、どなたかの感想で見かけた「抜け感」というのがまさに!というキーワード。「抜け感」ってファッションとかで使う言葉だと思うのですが、お芝居にもあるんですね…絶妙な抜け感で、飄々としていながらも愛情深く、やるときゃやる男・信長は彼にぴったりでした。

歌もすごくうまくて、パンの歌は聞きながら「いつもの歌が上手いほうの座長のターンね」→「ん…?」→「何を朗々と歌い上げてんだ?」→「歌がw上手いww」と情緒かき乱されました。今わの際の、麒麟の歌も優しくあったかくて…お芝居上手い人の歌ってこんなに歌詞以外の情報が入ってくるんだなと感心しました。

 

左馬之助(光秀)の神永くんは、男水ぶりだったんですが、声がとっても印象的で…何だろう、彼のすべてを包み込むような声。煕子への「ほっぺを見せてごらん」が素敵すぎてな…光秀と煕子は、家のために長いものに巻かれるズルイ役なのですが、愛嬌や誠実さを感じる演技で憎めない存在になりました。

 

おっちゃん(信行)の粟根さんは、紙芝居の軽やかさ、家康に語る語り口の変化、最後のすべて明かしてからの焦燥と落ち着き…全てが印象的でした。観客に対して「このおっちゃんは兄と弟どっちなのか」というブラフの役割もありましたが、演技でうまいこと、本当に少しずつ信行なんだなと感じさせ、最後で決定的になる。途中で分かっちゃうと面白くなくなるので、大変重要な役だったと思うのですが、さすがでした。

 

麒麟の加藤啓さんは、おもしろおじさんであり、ヒロインであり、兄・信長の友人であり…いろんな面を持つ麒麟を違和感なく演じていた。そして改めて見ると、顔が良い…(うっとり)二部でも大活躍で、る変は加藤啓さんの麒麟ありきだったなと思います。

 

最後に秀吉の嶺くんは、めちゃくちゃかっこよかった!!!秀吉、ひたすらにかっこよかった。嶺くんの顔の良さ声の良さ姿勢の良さ、それから一人だけ信行に仕え続ける一途さ。ズルイ。原田さんのルイスにこぼした「これが自己演出の極地か…」で爆笑しました。

 

推しについて

「演者について」でまとめろよと思われそうですが、リピートアフタミー、推しは常に特別

W座長、本当にお疲れ様でした。る変の安西くんを観ていて、なんだか感無量でした…。

る年で辻ちゃんとW座長だった時、実は私自身は物語に没頭できなくて、それは安西くんが肉体的精神的に限界ギリギリだというのが見ていて分かってヒヤヒヤしていたからだったんです。いつ決壊してしまうかと本当に心配で、結果として決壊しなかったので良かったのですが、推しが座長の楽しみよりも辛さのほうが勝りました。

でも今回は、2回目だからなのか2年間の成長からなのか分かりませんが、安西くん自身が余裕をもって演じているように見えて、何の心配もなく見届けることができました。一部も二部もまぎれもなくW座長がけん引していて、その頼もしい姿に感無量だったのです。

第六天魔王信長の恐ろしさと、ほんの少しだけ垣間見える弟・信行の懊悩。兄ぶっているときに感じる寂しさ。信行自身も自分の心が分からなかっただろうに、ひとつひとつの要素をきちんと拾い上げて信行という役を作り上げたこと、感心しました。

お疲れ様でした!!おいしいレモンサワーを飲んでください。

 

まとめ

長くなっちったのでまとめますが、総じて非常にまとまりよく見やすい舞台で、笑いあり涙あり捻りありの年末にふさわしい華やかさで、何回行っても楽しかったです。

やっぱり、座長の役同士がある程度敵対してる方が面白いのと、描かれてる歴史上の出来事に座長の役が関わってる方が分かりやすい。(る年は分かりにくかったので)

多少気になった点はリーディングで補完されるかもしれませんし*4一部も二部もほんとに楽しかったので、これを作り上げたカンパニーの皆さんに拍手です。

もうね、カウントダウンの後帰省したんですが、ずーっと「明日円盤出ねぇかな~」と思って、る変で頭がいっぱいでした。

明日から仕事なのでこりゃいかんと思って感想ブログを書いてみましたが、余計に記憶が新しくなって、仕事しながら「その名を呼んだのは誰だ!(誰だ!)」とか「朝食は白米がいい~♪」とか「バカバカバカ!」とか「膝丈が一番怖い」とか「テレレ!テレレ!」とか「みんな、いい学びになったね^^」とか「ヘァッ」とか「もっと俺を縛れ!!!」とか脳内再生されそうで怖いです。ちゃんちゃん。

 

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いのまたにマシュマロを投げる | マシュマロ

 

*1:ルイスフロイス入れると23名

*2:る戦27名、る年27名

*3:信長もお市も、後半の高笑いは泣き声に聞こえた

*4:個人的には本編で完結させて欲しいところですが