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いのちだいじに

もののふシリーズ最終章によせて:チーム男子への憧れ

※5/12:マシュマロにお寄せ頂いた皆様の好きなシーンを追記しました。

 

とうとう終わってしまう…そんな気持ちでかけ隼の感想を書いていたら、いっそもののふシリーズまとめての感想にしようかなと思いました。ネタバレ配慮ありません。3作の思い出がごちゃ混ぜになってるかもしれませんが、ご容赦下さい。

 

※この感想で歴史上の人物や集団、出来事に言及していても、それはもののふシリーズの登場人物・集団・出来事に対する個人の感想です。いちいち「本作における」と付けるのもくどいので、省略させて頂きます。

 

 

 

1作目 もののふ白き虎

幕末、揺れ動く時代を疾走した若者たちの果てなき夢。

そして、未来に託された熱き想い──

当時、会津藩の男子は10歳になると藩校・日新館に入学する決まりがあった。
慶応元年(1864年)、後の白虎隊となる少年たちは
日新館に入学し、盟友たちとともに武士の心得を学び、勉学に励む。
ある日 “壬生狼(みぶろ)“ と呼ばれる新撰組と運命的に出逢い、
彼らは幕末という時代を疾走することになる。

いつか白き虎となり、狼より遥か高い所まで――

狼に憧れた若き虎たちは、命を懸けて会津を守ろうと固く心に誓う。
各々の心情を抱きながら、友情を深めていく少年たちに待ち受ける運命とは――

http://www.mononofu-stage.com/shirokitora/introduction.html

 

白虎隊の話と聞いて、悲劇的な御涙頂戴な感じなのかなと想像して行って、裏切られた記憶があります。
勿論泣きどころは提示されるけれども、一人ひとりが愛おしくなったうえで、歴史に翻弄される彼らを観ていることしか出来ない歯痒さやるせ無さ…そんな気持ちからの涙を流しました。
改めて、散りざまを描くにはそれまでの生きざまを描くのが一番なのだと実感させられた作品です。

 

白虎隊生き残りの貞吉と、新撰組生き残りの斉藤が、戊辰戦争から十余年経った明治時代に、お酒を呑みながら回想する形で物語は進みます。
大部分は大人になった貞吉の回想で構成されており、貞吉の語る白虎隊の少年たちはとても魅力的で、それぞれの野望や事情、良い所と悪い所があって。特に彼の憧れである悌次郎は、特別輝いて見えました。

 

そして、白虎隊の憧れは、当時京都で活躍していた新撰組。近藤派だ土方派だと言いあったり、局中法度をまねた隊の掟を作ったりしていました。
とはいえ、幼い彼らです。その掟は「年上を敬いましょう、買い食いしてはいけません」というような生活指導的なもの。そして、一番年長でしっかり者の儀三郎が「男女交際禁止」の掟を破っており、他の皆は気付いてもそっとしておいている。
きっと実際にはこんなに楽しいことや美しい出来事ばかりではないけれど、大人になった貞吉の口から語られるから、彼のフィルターのかかった思い出を聴いているのだと納得できるし、結末を知った観劇2回目からは、思う存分感傷に浸ることができました。

 

そんな微笑ましい日々をたっぷり描いておきながら、歴史は着実に時を刻み、戊辰戦争が始まり、新政府軍の圧倒的な力の前に白虎隊は一人また一人と斃れていきます。
大人の貞吉は当時の心境をこう振り返りました。
「幼い僕らにも、何となく分かっていたんです。もう、勝てないと」


勝てない戦に挑む、幼い彼らに出来たのは、誰かを生かして白虎隊という集団を残すこと。会津を守る集団を守ること。

そして示し合わせたわけでもなく彼らが自然と選んだのは、悌次郎と貞吉でした。

「悌次郎と生き残れ」と守られて飯盛山に落ち延びた貞吉はしかし、若松城が燃えるのを遠くに見つけ、自分が残ったところで守るべき対象はもう無いと悟り、自決しようとするのです。

にくいのが、この瞬間に回想が終わるんですよね。

張り詰めた緊張感のなか、斉藤は投げかけます。

「いいじゃねえか。結果としてお前は生きてるわけだから」

大人の貞吉は返します。

「そう、思えません」


生きててよかったと思えない貞吉に、斉藤は語ります。貞吉の知らない、悌次郎の姿を。
斉藤に剣の腕を見込まれながらも、もしもの時には自分ではなく貞吉に白虎の旗を*1と願った姿を。
「憧れているのは俺の方です」と吐露したのを。

 

斉藤と再会するまでの、悌次郎の真意を知らない貞吉は、自分がなぜ生き残ったのかも分からず、おそらく「死に損ねた」とすら思い生きてきたでしょう。物語の冒頭、久しぶりに会った斉藤に貞吉は言います。「白き虎は、あいつらです」そこに彼自身は含まれていませんでした。

しかし、斉藤に悌次郎の気持ちを聞いて初めて、自分を生かした悌次郎はじめ白虎隊の真意を知り、彼らの憧れた自分を知り、ようやく自分もまた白虎隊の一員だったのだと受け入れることが出来ました。

崩れ落ちて流す涙は喜びなのか、悲しみなのか、後悔なのか、懐古なのか。

そして、何度も心の中でリピートしてきたであろう、白虎隊の掟をみんなで合唱する輪に、貞吉青年は加わることができ、それで幕を閉じます。

 

このラストシーンが本当にすてきで……シリーズ通して一番好きなシーンです。*2

私が貞吉モンペだからというのもありますが、彼が十余年抱えてきた苦しみから解放されたことの表現としてあまりにも鮮やかで、物語上のカタルシスと感情の波が同時に頂点に来る…どえらいシーンでした。(語彙)

 

推しくん演じる貞吉がまたね、貞吉視点だから貞吉のかっこいい所はあまり描かれないんですが、それでも人がついて行きたくなるような人柄が滲み出ていて、すごく良かった。

願わくば、悌次郎視点の「もののふ白き虎」が観たい。いや、白虎隊それぞれの視点で観たい。
でも、やっぱり観たくない。これが一番の切り取り方な気がする。

そう思ってしまうほど、不完全さが魅力の物語。

通っていて自分が楽しかった*3のは勿論ですが、少しずつ確実に埋まっていく座席を観て、なにか凄いものに立ち会っているような気持ちがして、それは間違いではなかったと思います。オリジナル脚本の舞台がこれだけ盛り上がって、作品のファンがついて、シリーズ化までされるというのがどれだけ稀なことか!

もののふ白き虎はいいぞ!!!!

 

2作目 瞑るおおかみ黒き鴨

1868年-明治政府設立
時代は新たな局面を迎えようとしていた・・・
戊辰戦争を乗り越え、新しい時代に群れの始まりを思う狼・斎藤一

時代の英傑 西郷隆盛
そしてもう一人の英傑 大久保利通
心のすれ違いは、明治政府 対 薩摩藩の日本最大の内戦へと発展していく―

かつての仇敵、山縣有朋の指揮の元
抜刀隊として新たな戦乱に身を投じることとなる斎藤一

そして西南の地で、人斬りは人斬りに出会う
幕末に人斬りの異名を冠する男・中村半次郎

新撰組三番隊隊長・斎藤一

捨てられた狼の
「冬」という時代を乗り越える物語である

http://www.mononofu-stage.com/tsumukamo/introduction.html

 

続編のつむ鴨が発表されたとき、最初は「もふ虎の再演が観たかった」と思ったのですが、実際観たらリピチケ買ってました。
シリーズものは1作目が一番面白いとそう思っていた私を、1作目の世界観を壊さずにもっと広い所に連れ出してくれた。

「もふ虎」は白虎隊の結成に始まり戊辰戦争までを描いていましたが、この「つむ鴨」は、同じく戊辰戦争を「一方その頃大人たちは…」という形で、またそれにより新政府が生まれたばかりの時代のいびつさと、その末の西南戦争を描いています。

このように時間軸が広くなったと同時に、「もふ虎」では白虎隊および新撰組という旧幕府軍だけを主軸にすえていたところを、「つむ鴨」では旧幕府軍にくわえ、薩摩藩(と長州藩)という新政府軍も主役に据え、群像劇の色が強くなりました。

少年たちが主役で生まれたての集団を描いたもふ虎から一点、大人たちが主役で成熟した苦みばしった集団の瓦解を描いたのがつむ鴨でした。

 

主役は新撰組の斉藤ながら、集団としてじっくり描かれたのは薩摩藩だったように思います。*4

前作「もののふ白き虎」では薩摩藩は、物語を分かりやすくするために徹頭徹尾「悪」として描かれていましたが、つむ鴨では新時代を夢見てそれを達成する集団として描かれています。

新政府擁立という同じ方向に向かっていた西郷と大久保でしたが、それを達成してしばらくすると、彼らを筆頭に新政府軍は、明治時代の新しい価値観についていける人間とそうでない人間にしだいに二分していきます。

価値観についていけないというとこちらが悪のようですが、戊辰戦争では憎しみ合っていた相手と、手を取り合わなければならない。戊辰戦争で散っていった仲間たちを思うと、到底受け入れられることではありません。

かといって、それを出来る人たちに人の心がないわけではなくて、そうしなくては日本が強くなっていかないから、滅ぼしあっても未来はないから、選択しているまでなのです。

そして、価値観についていけない人間たちは、自分たちがいても新政府のためにはならない、さりとて武士としての死に場所はもうない、という葛藤を抱えていき、それを解決しようとしたのが西郷による西南戦争だったのだと思います。

戊辰戦争で決着を付けられなかったものたちが決着をつけ、新政府を支持するも新政府にはなじめないと自覚したものたちが新政府に斬られていきました。

「大久保先生、万歳!」と叫びながら突っ込んでくるかつての教え子たちをつぎつぎと斬り伏せる大久保、彼こそが新しい価値観の、厳しい変遷期の象徴なのです。

ともに同じ方向を向いて走っていた集団は、いつしか二つに分かれ、片方のために片方は自滅することを選んだ。かなりいびつな形の、でもこれもまたひとつの集団の形。

 

一方、斉藤ふくむ新撰組は、戊辰戦争のさなか局長近藤を失い北走する土方らと、会津に残る斉藤という、トップを失った新撰組という集団は残ったのかどうなのか?という微妙な状況。斉藤は会津を捨て転戦する新撰組に違和感を覚えながら、彼らに同行しない自分はもはや新撰組の一員ではないのかもしれないーそんな思いに苛まれます。

しかし、彼を支えたのは道をたがえた土方の言葉でした。

「俺はな、狼なんぞどうでもいいと思うぞ」

それは新撰組なんかどうでもいいということではなく、同じ志を持っていれば、どんな形をしていたとしても同じ新撰組だということ。会津を守るお前も、お前さえそう思うのなら新撰組の一員だということ。

その言葉に救われた斉藤はしかし、土方を失い、悩んだすえに新政府の抜刀隊に加入します。そして今度は西南戦争で、自分はこの明治時代を生き抜くべきかこの用意された死に場所で死ぬべきかを悩み、生き抜くことを選択するのです。

 

物語のなかで斉藤は、なぜ白虎隊にそんなに入れ込むのかと聞かれ、「憧れてんだ、あいつらに」と言います。拡大しその分一部に影を落とす新撰組に身を置く当時の彼は、生まれたてで自分たちは一蓮托生だと疑いもしない白虎隊に、かつての新撰組を重ねていたのでしょう。

土方の言葉で救われ、死に行くもののふ達と刃を交えた斉藤だからこそ、戊辰戦争から抜け出せないでいる貞吉を救うことができたのだと思います。

つむ鴨を観て改めてもふ虎の物語に深みが出る、本当に2作目として出来すぎている構成だなと思いました。

つむ鴨はいいぞ!!!

 

3作目 駆けはやぶさひと大和

新撰組に入隊した中島登は剣は立たぬものの、「絵」を描く男だった。
同志が動乱の中を駆けぬき、散っていく中で、
自分にしかできないことーそれは新撰組の想いを姿絵に残すこと。

大和―
それは近藤勇が目指した国の名前であり、理想郷の「まほろば」。
隊士たちからみた、新しい国は、近藤勇土方歳三の背中そのものであった。

新たに訪れる明治という国の前に、自らの信念に生き、散っていった「誠」たち。
その想いを遺すために時代を駆け抜けた蒼きもののふ達の物語。
もののふシリーズ最終章、ついに幕開け―

http://www.mononofu-stage.com/introduction.html

 「もふ虎」「つむ鴨」で存在しながら、決して話の中心には来なかった新撰組。この集団を描くことでもののふシリーズは完成するんだと、きっと誰もが思っていたと思います。

貞吉および白虎隊モンペの私は、おそらく西田さんが一番描きたかったであろう新撰組の物語にとうとうたどり着いた本作で、過去2作が否定されてしまわないかが心配でした。

でもそれは杞憂でした。むしろ、もっと好き勝手してもいいですよといいたくなるほど、きれいに風呂敷を畳んでくれた。

 

時間軸としては「つむ鴨」より巻き戻り、新撰組を一躍有名にした池田屋事件あたりから戊辰戦争終結(=土方の死)まで。

主役は近藤・土方ではなく、平隊士の中島。新撰組に身を置きながら新撰組に染まらない彼の目を通して、新撰組の成り上がりと軋轢、没落と再生を客観的に描きます。

 

最終章にしてようやく登場した近藤は、野望に燃え人望があり茶目っ気もある男。同じく初登場の沖田は、何を考えているかよく分からない、ニコニコしているけれども底知れない強さを感じる青年。彼らと共にある土方を見て、あ、もののふシリーズの新撰組が完成したんだなと思いました。

色々あって近藤が捕縛され、斬首を待つ身となります。そこで土方は、近藤を救うために近藤の友人だった勝海舟に彼がどこにいるのかを尋ねるのですが、過去2作でめちゃくちゃかっこよかった土方が、土下座して必死に懇願するのです。土方にとって近藤は全てなんだと、そう感じるシーンでした。

そこに長州藩の伊藤が現れ、斬首を阻止されては困ると土方を殺そうとしますが、勝海舟が止めます。友人である近藤の命は諦めた勝海舟でしたが、近藤があいつは俺の「夢」なんだと語った土方の命は諦められなかったのです。こういうね~~友は死なせても友の大事なものは壊せないみたいなところが……男と男の関係性だなって思いました。

 

果たして土方は、捕縛され斬首に向かう近藤に追いつくのですが、近藤はお前など知らないと、お前のような者が俺に声を掛けるなと言います。それが自分を救うための嘘だともちろん土方は理解し、自分の近藤を助けたい思いと、近藤が自分を救ってまで叶えたい夢とを天秤にかけ、近藤の意思を尊重することを選択。

あぁ、これで土方は近藤を見送ってそれで最期なのか…と思ったら、連行していた土佐藩乾の粋な計らいにより、3分*5話せることとなります。

 

始めは上司として今後どうするかを指示していた近藤ですが、しだいに友の顔になり、「なんだか名残惜しくてなぁ」とまでこぼします。土方はずっと、笑顔で「あぁ、あぁ」と相槌をうつだけなのですが、その顔がしだいに歪んでいくのがはっきりと分かる。粋なはからい含め、あまりに都合がよく、理想的で、悲しく美しい今生の別れでした。

 

近藤を失い、多くの脱走者が出て瓦解寸前の新撰組。そんな中でも主役の中島含め、北海道まで着いていく隊士たちはいました。そして、これが最後の戦いになるという戦の前で、土方は皆に着いてこなくてよいと伝えます。近藤に新撰組を託された土方は、新撰組を解散させることで守ろうとしたのでしょう。

しかし他ならない隊士たちが、新撰組が、着いていくと決めました。

うまく言えないのですけど、新撰組を守り続けた土方が、新撰組そのものに守られたように思いました。

そして最後の戦いで土方は散り、戊辰戦争は終わり、中島は駆け抜けた日々と仲間たちを絵に描くことで新撰組を残します。そのかたわらで、新撰組が出来る前の近藤・土方・沖田が、俺たちの集団が出来たらどうする?と無邪気に語り合っていました。

集団の始まりと終わりが時間軸も空間も越えて舞台上で同時に描かれる、西田さんの「舞台のうそ」が詰まったラストシーンでした。

 

最後に斉藤について語りますが、「夢、瞑らないまま、マホロバまで」というのは、つむ鴨において提示された斉藤の役割です。

かけ隼を観た今思うのは、斉藤は新撰組の「目」なんだということ。

近藤にとっての土方は、親友でもなく戦友でもなく「夢」でした。そして近藤にとっての理想郷がマホロバ。結局近藤は自身の描いたマホロバに辿りつくことはできませんでしたが、彼の夢である土方は彼のマホロバを実現するため五稜郭まで駆け抜けました。それらを見届け、さらに彼ら亡き世の中の行く末を見届けるのが、斉藤の役割なのかなと思いました。

 

総括

結局のところ、私はシリーズを通して演出の西田さんから「男が男に憧れる」シチュエーションのエモさをプレゼンされたという気持ちでいますし、そのプレゼンは自分に凄く響きました。
たぶん男同士でしか分からない感覚というのがあって、それを舞台を通じて追体験したような、そばで見守ったような。チーム男子への憧れが、3作品を観て自分に残されたものです。

なにより、シリーズを通して西田さん自身が幕末という時代に強烈な憧れと自分なりの解釈を抱いているんだと感じました。
幕末の主役と呼ぶべき倒幕派及び新政府軍と新撰組をシリーズの最初からメインに採用したら、これほどに愛される作品にはならなかったと思います。シリーズの最初のメインが新撰組に憧れる白虎隊であり、時代に翻弄される彼らの生きざまを観ていたからこそ、「貞吉を救った斉藤はどんな道を歩んできたのだろう」「薩長側はどうだったのだろう」とつむ鴨に繋がり、「斉藤を救った土方が愛した新撰組はどんな集団だったのだろう」とかけ隼に繋がったのかなと。少しずつ明かされるのが心地よかったです。

 

ここまで書いて思い出したけど、西田さんはこのシリーズに「集団への憧れを詰めた」と語られていました。私が感じた「男が男に憧れる」というのも、男の集団(チーム男子)特有の魅力なのでしょう。
集団が結成される瞬間、ヒビが入る瞬間、持ち直す瞬間、瓦解する瞬間、腐る瞬間、再生する瞬間、すべてがもののふシリーズにはありました。

 

あとはなんだろう…私はこれまで、幕末ものは泣けるなぁとか、池田屋はアツいなぁとか、「事象」に心動かされたと思ってきました。
でも、実は◯◯戦争や◯◯事件といった「事象」に心を動かされたのではなく、その渦中にいる「人」になのだと、その一人ひとりの信念や思いになのだと、このシリーズを観て痛感しました。

 

シリーズ通じての時系列的なラストシーンが、シリーズ1作目のラストシーンだというのもまた味わい深いです。
白虎隊が散り、戊辰戦争が集結して十余年経ったある日、青年になったかつての貞吉少年は、戊辰戦争西南戦争を経験した斉藤との昔話によってようやく自分を許すことが出来ました。
世の中はとっくに明治時代でしたが、貞吉にとってはこのときにようやく戊辰戦争が終わったに違いありません。
こういう、「集結日」で世の中が変わっても人の心までがきれいに切り替わるわけではなくて、一人ひとりに終戦の日があるのだと感じる、余韻のある結末がとても好きです。

 

改めて、もののふシリーズ1作目に推しくんが出てくれてよかった。もふ虎を知れてよかった。好きになって、シリーズとして追っていくことが出来てよかった。多分いつまでも、このシリーズは私のお気に入りのひとつです。私がこれまでの人生で少しずつ感じてきた、チーム男子への憧れがギュッと詰まった作品でした。

 

かけ隼はこの週末の大阪公演で終幕を迎え、それでもののふシリーズも幕を閉じます。少しでも気になる方は、是非ご覧になってください。

舞台「駆けはやぶさ ひと大和」オフィシャルホームページ/もののふシリーズ最終章 2018年2月上演

 

好きなシーンを教えてください

かけ隼の円盤が来たら3作一気に見返そうと思っているのですが、もののふシリーズを観た皆様のお気に入りシーンを是非教えてほしいです!

marshmallow-qa.com

頂いたご感想は、今のところ私が読みたいがため*6と思っていますが、同じくもののふシリーズを愛する人に共有したいなぁと思ったら、まとめてブログでご紹介するかもしれません。

一言でもいいので、お気軽におすすめシーンを投げて頂けたら幸いです。

 

5/12追記===========

わーいわーいお気に入りシーンを投げてくださった皆様ありがとうございました!かけ隼の円盤が届いたらもののふシリーズを見返す会を一人で開催予定なので、皆様のおすすめシーンに注目してみます!

以下、ご紹介させて頂きますね。

私が好きなシーンは、かけ隼で鉄が斎藤さんに「土方さんのところへ行ってください!」(ニュアンスです)というシーンです。
斎藤に激昴され、鉄が役目を全うしようと駆けた、そのベストなタイミングで「憧れの背中」のサビが流れる演出がずるいな〜って思います。
タイミングがぴったり合うのは気持ちいいですし、もののふシリーズの演出として様々な曲が使われてますが、流れるタイミングも止まるタイミングもゾクゾクします。

音楽の使い方、いいですよね~!どの曲もシーンにぴったりですし、最初だけOR最後だけの曲は歌詞の意味に思いを馳せられますし…

流れ出すタイミングも感情の昂ぶりとぴったりでゾクゾクしますし、言われてみれば止まるタイミングも特徴的ですね。西田さんの別作品を観た時に「うまく言語化できないけど西田さんぽい…」と思ったものですが、今思えば音楽の止め方に感じたみたいです。

もふ虎では和助が亡くなった後に白虎でお酒を飲むシーン、貞吉だったか保鉄だったか覚えてないけどお猪口を自分の分ともう一つ持っていてもしかしたら和助の分なんじゃ無いか!!??と……

あ~ありました!確か保鉄です!きっと誰よりも和助の死に責任を感じている保鉄ですが、あのシーンでこれからの保鉄の心には常に和助がいるんだな…と思いました。

おざりょの表情がまたステキだったので、見返すときに彼に注目してみます。

つむ鴨ラストの、「俺は狼なんてどうでもいいと思うぞ!」からの齊藤の泣く顔と、それを見つめる土方さんの優しい笑顔が好きすぎて毎回泣き崩れております……。
齊藤の記憶の中の土方さんは、本人は「うまく笑うことができなかった」っていってたのに、とても綺麗な笑顔なのがとても印象的で大好きなシーンです。 

たしかに、本人評に対して私も土方さんは笑顔が印象的です。(もふ虎の宴会で貞吉に「いつか白き虎となり狼をも超えることです!」と言われて「そうか~!」という満面の笑みなど)

 つむ鴨ラストのいろんな感情がないまぜに爆発する感じを思い出しました…齋藤さんの涙の衝撃が大きくて、土方さんの表情を見ていなかったことに気付きましたので、見返すときは優しい笑顔を目撃します!

 

 

以上です。かけ隼円盤が出るまで引き続きのんびり募集中ですので、是非私に皆様の好きなシーンを教えてください♪

また、ブログの感想を下さった方ありがとうございました!いつも私見を断定的に書いてしまって反省しきりなのですが、暖かいお言葉を頂きとてもうれしかったです^^*

*1:=彼を助けてくれ

*2:元々は無くて、会場の場当たりで生まれたんだった気がする

*3:物語はスゲーーーーつらいけど

*4:新撰組は3作目にとっておいたんでしょうが

*5:何分だったか忘れた

*6:あともののふシリーズが終わった人生には死しか残らないとか言ってる友人にも読ませたい